2017年8月29日火曜日

case:non contact accident


金曜の夜


京都の教室でのレッスンを終え、そのまま出張レッスンに向かう


いつものようにタクシーに乗るために御池通りに出ると


なにやら、交差点でおじいちゃんとタクシーの運転手がもめているようだ。


タクシーは左折する途中で横断歩道にさしかかる位置に斜めに停まって


ハザードをチッカチッカと点灯している。



タクシーの脇にはおじいちゃんが乗っていたらしき自転車があり

後ろの荷台にはジュースか何か、飲料の箱詰めが載せてある

すぐ近くにはまた別の同じようなダンボール箱があり

それは道路に横たわっていた。


おじいちゃんはちょっとおぼつかない足取りだったけど

立って歩いていた。


そんな様子を見ていると、その交差点の方から歩いてきた二人連れの女性が

「おじいさんが重い荷物積んでフラフラしていて、、、」

と話す声が聞こえてきた


ほうほう、それでそれで?




一緒に並んで歩いて行きたくなったが



キモチワルがられるだけなので我慢した。



そんなこともあり、その瞬間は見ていないけれど

軽い接触事故か何かかなと見当をつけた。


そうこうしていると

おじいちゃんが落ちている箱詰めの中身を弁償しろと言っているようだ


タクシーの運転手は最初は穏やかというか

おじいちゃんを気遣う感じだったけれど

その弁償しろ、でキレてしまい

箱の中から缶の飲料を二本ほど出して


「どこが壊れてますのん!」

「なにをどうやって弁償したらいいんですか!」


と言い合いになった。


あー。

これ、ややこしいいやつやなぁ、、、


そして

「おたくがフラフラしてただけでこっちは当たってないですやんか!」


ほほー、当たってないのか


おじいちゃんはタクシーの前をトボトボ歩いたり落ち着かない様子。

それが道路のど真ん中で、金曜のゴールデンタイムの結構混んでる御池通りとか

そんなこと一切関係なく、らちのあかないやり取りが繰り広げられいる。


当たった、当たってない

壊れた、壊れてない


二人とも怪我がなくて本当に良かったと思うけれど


まあやっぱり



メンドくさいやつですね、、、



ずっと見てたらレッスンに遅刻してしまうので

走ってきたタクシーを停めた。


「何か事故ですか?」

乗ったタクシーの運転手さんが開口一番に言った

「はあ、、僕は瞬間は見てないんですけど、、」

とその状況をあれこれ説明した。


そうすると

「ははぁ、それは真空事故ですな」


真空事故?


初めて聞きましたと言うと運転手さんが説明してくれた


なんでも、仮に当たっていなくても車を避けようとして自転車で転んでしまった

とか

車に乗っていて路地から大通りに出る時なんかに

そこに停車していた車が不意に走り出し、危ない当たると急ブレーキを踏み

助手席に乗っていた人がフロントガラスに顔面をぶつけて怪我をした

とか

そもそもそれらは、お互いの前方不注意やらシートベルトしてたのか?

とか

色々あるのだけど、とにかく当たっていなくても因果関係で判断されるらしく


当たってへんがな


では済まないらしい


運転手さんも、さも理不尽な経験があるのか

話に段々熱が入ってきて声が大きくなるし


もう止まらない(笑)


そうそう


道路に停車していて見通しが悪くなった事も原因で事故が起こってしまったと

判断された場合には停めていた車の運転手も巻き込まれるらしく


タクシーを降りる時に


「まあ、お互い気をつけましょな」

と言って走り去って行きました。


後から真空事故で色々調べて見たけれど


宇宙


とか


NASA


とか


真空パック


しか出てこなくて


もうちょっと調べて見たら


どうやら、「非接触事故」というらしいですね


確かに、その状況にもよるけれど


当たってない、では済まない場合もあるようです。


当たりそうになってヒヤッとして転んだ方も

当たりそうになってヒヤッとしてホッとした方も


どちらも知っておいた方がいいかもしれませんね




それでは今日はこの辺で。




2017年8月22日火曜日

夏の午後


隔週ではあるけれど

月曜日が命がけな岡部です。


僕のミニはクーラーがついてないうえに

レース仕様のやんちゃ君なもので

エンジンからの熱気も加わり車内は外気温より高くなります、、、

扇風機の風も熱い熱い。


夏の昼間なんぞは水温計から目が離せず

オーバーヒートと戦いながら車も人も必死なのです


まさに命がけ。


そんなわけで10分が車も人も限界だと思っていて

だいたい駅までとか、近所に限定しています。

だけど、月曜日は朝から守山、そこから大津へ移動するという

壮大なアドベンチャーが待ち受けているのです。


信号待ちとか


本当に危険(笑)


今日がその試練の月曜日でしたが、なんとか乗り切りまして

そんな夕刻はモンテカルロラリーを走破したような達成感があるのです。

お互いよく頑張った!とミニと健闘を讃えあって

なんとも安あがりな幸福感に満たされているわけですが

日々の生活も考え方一つで面白くなるもんです。


昨日は恒例の弾き語りナイトで石山に修行に行ってまして

僕はほぼ皆勤賞で参加していますが

毎回出演者が少しづつ違っていて

それでいて毎回刺激になる面白い夜。


今回は20代前半の若い子がいた。

しかも、ほとんどの人は目を合わせないようにするような

侍ならば目の前に来るものはすぐさま叩き斬るような

若さと抑えきれない衝動が溢れ出ている危なっかしい子もいた。

ちょっとややこしいかな、なんて思っていたけれど


弾き語りはめちゃくちゃカッコよかった。


歌う前にビール二杯をいっき飲みして

さらにウイスキーのロックもいっき飲みして

タバコふかして3回くらいで一気に吸い終わって

どうなることかと思ったけれど

汗だくになって全身全霊だった。

ギターにもポタポタ落ちていた。

マイクに齧り付くように歌うので

あの後はマイク臭いだろうな、、、あの後は嫌だな、、、とか思いながら


それでもカッコよかった。

体格のわりに小ぶりなギターを乱暴に弾いていたけれど


最高に鳴っていた

魂の叫びだった


ミニを4000回転くらい回した時と同じだった。


やっぱり

年の差なんて関係なくみんな一生懸命に生きている

不器用だけど自分に正直に純粋に音楽を愛している

そして

昨日は海外にも一緒に演奏に行ったギターのかけちゃんも

遊びに来るというスペシャルな日に。

そんなわけで急遽、僕の出番の時に入ってもらったけれど

やっぱりかけちゃんのギターはカッコよかった。

その若い侍も、かけちゃんのギターええなー!と言っていた。

いいものは伝わるのだ。

そこになんの障害もない。

そして僕の十八番の浅草キッドの時は真剣な眼差しで聴いて

客席で一緒に歌ってくれていた

若いのにどうして知ってるのかビックリだけれど

僕の歌はなんの小細工もないし精一杯歌うことしかできないけれど


ちゃんと伝わったんだと思う。


昨夜のことを思い返しながらミニから降りた昼下がり

大きくて真っ白な雲が見上げなくても目の前に広がり

木陰で涼んでいたら、なんとも懐かしい風が吹いた。

夏にはたまにそんな瞬間がある

そんな時は自然と子供の頃を思い出して

心が軽くなったように爽やかな気分になるのだ。



さて

夏の終わりのイベント案内です。

昨年参加してめちゃくちゃ楽しいイベントだったので超オススメです。

僕はユキナさんと岡中荘で15:00頃の出演ですが、1日楽しめるので

どこかで、少し心が軽くなる瞬間がきっとあるはずです。



マルス8

2017年8月15日火曜日

ぼんぼんばかぼん


お盆ということで

レッスンは少ないですが、その間にやりたいことが沢山あります。


昨日は新しい曲を2曲書いて、夕方に墓参りへ行ってきました

ここ数日、夕方になると少し涼くなりますね


クーラーもいらないくらいです。


そして今日は恒例の「岡部家お盆の集い」でした

わりと近所に住む親戚が盆と正月だけ集まってワイワイやっているのです。


そして今日は、今までになかったことをやりました。


最近僕は弾き語りにチャレンジしているので

ひとしきりご飯もお酒もすすんだ頃



「皆の衆、歌うぞよ」


ということで


ウクレレと歌本を用意してくると

最初はみんな、ちょっと恥ずかしそうにするんだけど



結局、20曲くらい歌って伴奏したかな(笑)


みんな、歌う歌う、、、


フォーク、歌謡曲、POPS、演歌


そして


ディズニー(笑)


親戚同士、まあ仲が良いとはいえ


みんなで歌うと、なんかこう

グッと距離が縮まりますね

そう感じました。

一緒に風呂に入って背中を流す、みたいな裸の付き合いではないけれど

似たような、自分を包み隠さずさらけ出す(笑)みたいな


これぞ


歌の魔法ですね。


みんなはどうか知らないけれど、僕は結構楽しかったので

今後、こういった集いではみんなで歌っていけたらなぁと思ってます。


こういうのって

歌う人と歌ってもいい環境と伴奏する人と美味しいご飯と

安くてもお酒ならなんでもいーやーというところまで酔っ払って

ああ、昼間っから飲んだくれて最高♪

というハッピーな気持ちが揃わないとできないわけで。



お盆に集わせてくれるご先祖様に感謝感謝です


今日もありがとう。


2017年8月8日火曜日

台風と愉快なサザエさん


台風が接近してるけれど


ジムに行ってきました。


着いてみると、かなり人が少なかった


当たり前か。


帰ってきてブログを書いている現在

かなり風が強くなってきました。



どうか各地での被害が拡大しませんように



そして僕は、明日の電車が心配です。


京都まで車で行った方がいいのかな


思案中。


さて

日曜日の夜は長浜でライブでした

朝から彦根でレッスンだったので、レッスンの用意と楽器、

そしてライブの機材など、かなりの大荷物になりました。


それでも


頼まれていた音響スピーカーをすっかり忘れていて


まあ

そもそも電車で持っていくのは不可能だったので

日中は15分が限界の蒸し風呂のミニで長浜まで決死の覚悟で行くか

はたまたレンタカーか

車で行かないと行けなかったわけですが


もう本当にすっかり忘れていました。


結局、メンバーに僕の家まで車で取りに行ってもらい

事なきを得たわけですが、、、


この台風でベンツでも飛んでこないかしら。


それにしても


最近

忘れ物が多いんです、、、


先日は大阪の教室の発表会でしたが


なんと


財布を忘れてしまいました、、、


そう


愉快なサザエさんです



本人は不愉快です


発表会の前日がソロライブだったので

帰宅は深夜になってしまいましたが

それから発表会の講師演奏の譜面をチェックし

ギターやら機材やら、大阪までの荷物をなるべく最小限にしようと

カバンを替えたんですね

これがマズかった。

翌朝

なんやかんやであまり寝ないまま

慌てて家を出て

携帯ケースに入っているICOCAを取り出して電車に乗り

大阪から地下鉄に乗り継いだ時点でカードの残額が98円。

なんばで降りるときにチャージしようと

車内で財布を探したら

あれ

あれあれ

うわー


となったわけです、、、


教室のスタッフに相談しようと電話するも

まだ朝も早くて営業時間外


これはまいった、、、




とりあえず駅員さんに相談すると

連絡先を書いて戻ってくる時間を伝え

なんとか出してもらえました。


発表会の会場に到着すると

財布忘れました、、、と教室スタッフに伝えたら


3000円でいいですか?



交通費を借してくれました


本当はもうちょっと借して、、、

と思ったけれど

そんなこと言える立場ではないし

心から感謝したわけですが

発表会後の生徒さんたちとの打ち上げには行けず

ちょっぴり寂しかった。



それでも無事に帰ってこれました。

ありがたいありがたい。


忘れ物、本当に気をつけないといけないです。


明日は朝から京都。

JRの運行状況も気になるし、そろそろ寝ます





ますます風が強くなったようなので


そろそろ


ベンツ飛んでくるかな


おやすみなさい。

2017年8月1日火曜日

海の向こう



いやはや


ライブに向けて歌を作ろうと思ったものの

結局前日までに出来ず


当日


朝から5Bの鉛筆を持って紙とにらめっこしていました


家を出る二時間前


ふと


何かが産まれる感覚がジワジワと湧いてくるのがわかりました


曲を作る時もそういうことがあります。


ほら、面白いことが始まるよ

さあ、ほーら。







次第に体が温められて、なんとも言えない大きなものに

優しく包まれていくような安心感。


それはワクワク感


それを幸福感


と言ってもいいのでは


と今は思えます。


とにかく


カラカラに枯れた井戸の底からまた水が湧いてくるような


潤っていく感じ


キタキタキタキタ、、、!


この感じ



君は一体どこへ行ってたんだい?



数年前


このブログに引っ越しする前に書いていた先代のブログ


あの頃


明け方まで貪るように書いていた


無我夢中で、自分でもわかるほどニヤニヤして書いていた。


そんな自分がある日、特に理由もなく書くことを止めてしまった


いや


それは徐々に井戸が枯れ始めていたのかもしれないけれど


とにかく


書くことをやめてしまった


ひとたびやめると


一体どうやって書いていたのか、全く思い出せなくなってしまった。


完全に欠落して辿り着く緒すら、全く見当たらない


記憶喪失とはこういう事ではないか、と思うのだけれど



どうなんだろう



とにかく


また水が湧いてからは


結局30分ほどで無事に書き上げることができた



それで

この産みの苦しみを味わった二ヶ月


何も無いなりに、色々な手法や角度から歌詞を書こうとしたけれど

最後の最後に発見できたのは


「自分が好きな詞と自分が書ける詞は違う」


ということ


それはつまり


「今の自分の書けるものを書く」



とてもシンプルなことだった。



ある冬


渡り鳥がまだ渡り鳥になる前の話


海の向こうのあっち側へ行きたいのだけれど


どうしたらいいのかわからない


魚たちのように泳いでみようと


やってみるけれど


すぐに浮かんでしまう


悩みに悩んで


魚に尋ねて泳ぎ方を教わるんだけれど


ちっとも上手くいかない


やっぱり浮かんでしまう


海は魚たちが泳ぐところ


だから泳いでいかなければいけないんだ


そんな思い込みが僕にもあったんだと思う。


あのキラキラ光る綺麗な魚たちにはなれないけれど


僕には小さな翼がある


海の詞は書けないかもしれないけれど


大空に奏でられる風の歌を聴くことが出来る


知らない街の小さな少年が寝坊をして慌ててレンガ作りの家を出ていく音


どこまでも続く一面の麦畑を金に輝かせる太陽と大地のアンサンブル


いつもそこにあるじゃないか

大切なものはいつもそばにある

そっと耳を傾ければ良い


僕が書いた詞はね

書けなかったことをそのまま歌にしたんだよ


明日タンスの角で足の小指のぶつけたら


きっとそれを歌にする


蚊に二ヶ所刺されたら


三ヶ所目は刺されないための歌を作る


阿久悠にはなれなくても


悪友にはなれる



谷川俊太郎にはなれないけれど


なろうとも思わない



それでいいんだ


それがいいんだ



だから僕はいつも寝坊するあの少年に会うことができたんだよ


ちゃんと渡ったんだ


自分の力で。