2018年8月14日火曜日

無花果。



毎年

盆と正月には岡部家の集いがあり

年々来る人は少なくなるけれど、それでも親戚と顔を合わせて

昼間からあーだこーだ言いながらお酒を飲むのは中々に愉しい時間です。


今日もそんな風にささやかなお盆の集いでした


大体の話は

肩が痛くて上がらない

とか

姪っ子の背がまた伸びた

とか

こないだ行った宿がリーズナブルで良かった

とか

しかも飲み放題つき

とか

テレビはボクシングの会長ばっかり

とか

「絢子」が読めない、じゅんこ?

とか。


そんな話が同時に、幅1メートル長さ1メートル80ほどの

長方形の座卓の上の料理の上を飛び交う


持って来てくれた甘いドイツワインとビールを注がれるままに交互に飲み

柿の葉寿司と親戚の家の庭になったらしいイチジクを交互に食べ

姪っ子はまだ茄子の煮びたしを食べてる最中にうちのオカンから

早すぎるタイミングのチューペットを手渡され、それを片手に持ちながら

箸で茄子をつまんでいる。

350やら500やらの缶ビールがどんどんカラになり

そうこうしてるうちにグラスに残ったサッポロにアサヒがごちゃ混ぜになり


「ビールならなんでもええ」


となる。


そしてさらに進化する





それまだワイン入ってるけど、、、


と僕が言うと


「ワインとビールは合うんや」


と言ってワインのグラスにビールを注ぐ。


さらに進化する


「マッコリにもビールは合う」


となる。


さらに進化する


「日本酒とビールも合う」


それってアルコールやったらなんでもいいんやん、、、


「なんでもええ」


はあ、、、


と言うイチジクのおじさんは


終戦の年、昭和20年生まれで僕のオトンと同い年である。


その昔


中学生で下駄を履いて高校に殴り込みに行く悪ガキだった

イチジク番長は空手やボクシングを嗜み

「喧嘩せなあかんし忙しかったわ」

と言う。

卒業後は職業訓練校の自動車整備科に入り

そこでオトンと出会う


当時の職業訓練校(通称しょっくん)と言えば

それはもう、やんちゃの巣窟というか

大体がパンチパーマというか。


オトンは高校に落ちて一晩布団にくるまって泣いたらしいけれど

しょっくんに行くことにしたらしい(結局、卒業後に高校に行きなおしたそう)


「俺らが一期生やった」

「先生も初めての担任でな」

「先生が言ったわ」

「君たちが一期生だが僕たちも同じだ」

「どうぞ、お手柔らかに」


先生、怖かったろうな、、、


教室は床ではなく砂の上に机が並んでいたらしい。


16歳で車の免許を取得し、卒業すると本田技研などに就職

当時の大卒より遥かに高給取りだったそうだ。


しかし


おじさんは違った。


「君は成績も優秀」

「手を尽くしたが」

「それでも誠に残念ながら」

「君の国籍ではどこも雇ってくれない」


おじさんは韓国籍だった


それで結局、長浜の小さな町工場の整備士になった

同期が大手に就職していくのをどういう気持ちで見ていたのだろうか。


人並み、いやそれ以上に有能であったとしても立ちはだかる壁

同じ人間が作った壁。

そんな事があってかどうかは知らないが

オトンは差別解放について少なからず活動をしていたようで

時代はフォークブーム。時にはギターと歌にのせて訴えて来たようだった。

詳しいことはわからないが、全員仏教の家系ながらどこかのタイミングで

キリスト教の洗礼を受けていたらしいオトン。

そんな話、生きているときに聞いたことはなかったが

その縁もあってか、岡林信康さんや高石ともやさんとも交流があったそうだ。



酔っ払って繰り返される昔話。


はいはい、それは何度も聞きました

という話。


それでも


お?


それは知らない


というのがほんの少し混ざっている事がある。



それは


幾重にも積み上げられた地層から

ごく稀に見え隠れするキラキラしたもの。



水で洗い流し、ザルですくってほんの少し取れる砂金のように。

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