2018年9月18日火曜日

あと少し。



気がつけば9月も後半になりました。


部屋にはカレンダーがいくつかあるので

そのうちの一つは10月のものにして次回レッスンの相談をしたりする。





そうすると片足は10月に踏み込んでいる気がして

より一層、この一年の終わりが近づいていると切々と感じます。


毎年思うけれど、今年は本当に早かった


特に何もしていないはずなのに、、、


そして

来月にもなれば、三木楽器の来年のレッスンスケジュールを

一年分まるまる提出しないといけないはず。


来年の12月のスケジュールなんてわかるもんか

今年の12月もまだわからないのに。


だから余計に時間の流れを感じるのだけれど

年間のスケジュールをしっかり立てられるので

ズボラな僕には合っているのかも、とも思う。


普通

ミュージシャンは、いや、それに限らずみんな

おおよその年間計画は立てているものね。


僕の今年の計画は、動画をいっぱい撮っていくことだった。


だけど

未だに一本も上げていない。


本当に最初の一歩で壁にあたってしまい

自分がどうしたいのか全く分からなくなってしまった


その大きな壁を何ヶ月も見つめる毎日でした


よじ登れないものか

抜け穴はないのか

突き破れないのか

ある日突然きれいさっぱり消えてたりしないか


来る日も来る日も壁と向き合って

それは今も続いています。


今一番やりたいことであり、やらなければいけないことなのに

全く動けなくなってしまった。


そういう状態が続いて、ふと気がつくと自分の中に

泥のようなものがたくさん溜まっていて体が重くなっている


楽しいことが考えられなくなり

ワクワクが僕の原動力なのに何にも興味がなくなってしまい

泥にやられて寝込んでしまったりします。


全て条件は揃っていて、あとはやるだけなんだけど

これは自分の根本、センスの問題。


センスなんてないじゃないか?

こうやって毎日何もせずに過ごしていけるのなら

とっくに引導を渡されているのでは?


すいません

こうやって書きながら自分と向き合って整理しています(笑)


とにかく


これまでに状況を書き出しては策を考えてみたり

違う観点から色々と考えてみたりしたけれど

それでスッキリした答えが出ないってことは

そもそも今までのやり方が間違っていたと言うしかない。


自分の積み上げてきた考えを一度崩していくこと


この一年、膨大な量のインプットがあり

そこから色々なものが見えてきた


だけらこそすぐに動けなくなったのだけれど

それはそれで「今」の世の中の流れを感じることができた


あとはアウトプットするだけ


一年分の便秘


これまたすいません



先日

戦っている友人からメッセージがきた。

何度も書いては捨てたというそのメッセージには

書ききれない思いが溢れていた


「声を失う」とは、一体どれほどのことなのか

どれだけ頑張っても僕にはわかった気にしかなれない。


取りとめもなく返信した後に


「あなたに言って良かった」


と返ってきたけれど


後からどんどん言いたいことが湧いてきた


その時


フワッと優しい風が吹いたと思ったら

なにか少し

壁がグラついたように感じた。

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